【 骨 董 讃 随 記 】※著作権登録済 松岡徳峰(店主 著作)
|
bX『うばがふところ」銘の茶壺』 日増しに陽気が変化していく初秋、日中太陽の下では真夏並の暑さ、ところが、朝夕との温度差に、夏の続きのごろ寝で、思わず「はーくしょん…」と震え上がる事もしばしば。 そんな晴天の田舎道、「あっ…すごい」、思わず声が出るほどの風景。 いまだ青稲田の稲穂をかすめる高度を飛び交う、赤トンボの飛群。 何百いや、何千の未だ赤く成りきっていない赤トンボの群、早く秋が来ないかなあと催促をしているようである。川の堤防では、箒草のすすきが早々と風にたなびいているし、萩がピンクの可憐な小花を無数に咲かせている光景は、未だ残る厳しい残暑の居場所さえ無くす、そんな雰囲気さえ感じさせるのであった。天高く…、透き通るような青空、もうじき兎が月で餅つく十五夜がやってくる。先祖伝来の室町時代、古瀬戸黒釉の掛かる茶壺、高さ四三センチはある大振りの見事な風格、四耳も無事である、底には、窯キズは有るが、古瀬戸で茶入れと茶壺しか造られ無かったと言われている祖母懐土の茶壺。 よく「祖母懐」の銘が入る茶壺は目にするが、この四耳壺は「うばがふところ」と、かな銘が入る大変貴重な珍品であると思われる。この「うばがふところ」茶壺に、すすきと萩の枝、そして、紫紺の花りんどうを数本なげいれる。御深井焼角型野香炉にお線香、織部燭台にはろうそくの灯り、古瀬戸鉄釉秋草文中皿に白い可愛い月見だんごを盛りつけ、お月さんにお供えをし、みんな揃って、日頃の感謝と幸せ、そして、世界平和を祈る。ロケットが月に着陸し、餅つく兎はいないようではあるが、昔も今も月に祈る気持ちは変わらないでいたいものである。
|
|
bP0『晩秋の糸繰車』 心地よいが少々寒いくらいの自然風と、晩秋の暖かな日差しを全身に浴びながら、縁側に寝ころんだ、いや、寝ころばせてもらった茅葺き古屋のお宅。鼻腔をくすぐる香りは、長年燻された色合い、この家の歴史のしみこんだ、黒光りした重厚な、そして、愛着と妙に懐かしさのある古木柱、床板、建具、そしてあらゆる古民具を守ってきた囲炉裏の白紫煙。そんな懐かしさを誘う香りを嗅ぐと、全身の余分な力も抜け、リラックスしていることに気付くのであった。日頃のストレスから解放され癒されている、そんな感じすらするのであった。部屋の中央の囲炉裏、吊り具の先には、無骨な鉄製フック、その上には、手彫り細工の今にも泳ぎだしそうな見事な大型鯉が居る。鉄製フックには、大振りな鉄鍋に食欲をそそられる臭いと美味そうな煮音と白い湯気を立ち上らせている。 うとうととしたのか、ふと、気が付けば、明治頃藍染め布の使い込まれた肌触りが柔らかな薄地の布団を掛けてもらったようだ。遠くではカラスの鳴き声、空は夕焼け、朱色、赤、黒、青、それら色のグラデーション。一日が終わろうとしている。夕焼け空を見つめているうちに、夕焼けは哀愁をも感じさせるのか、暖かい温もりのある家庭へ早く帰りたいな…、そう思うのであった。山々の紅葉は終盤となり、いまに、川堤の桜木は、颪と共に花より一足早い純白の雪花が咲くであろう。 ふと物音に囲炉裏端を見ると、この屋のおばあさんが、糸繰車で手織機用の糸を紡ぎ、縒りあわせている。このように糸から作り、手織機用で織られた着物は、心がこもって、きっと着心地が良いのだろうな…、このような手作りの良さ、伝統を何時までも大切にしていきたいものである。
|
|
bP1『 釣りと押し雛の内裏様』 「おお、さむー」、ランドクルーザーが白い煙を吐き、今にも出発したがっているかのようなエンジン音。頃は2月の初旬、小雪ちらつく薄暗い冬雲の早朝、さあ、解禁あまご釣り、雪山に向かっていざ出陣。 とろとろ走る不慣れなスキーヤーを横目にいち早く目的地に到着、準備万端、渓流に竿を片手に立ち込み、川虫を素早く針に刺し、シュイーンと竿を振り込む。何度か同じ動作の繰り返し、何処にいるのかな…、ポイント攻め、いきなり「こつん」、「あまごだー」 、思わず手首がグリップをきかせていた、あたりの感触に感激、「釣り上がった魚体は天然物で美しい、今年もあまごは元気だな…」、と思ってはみたが、これ以後いっこうに不発、胸まである釣り長靴の底のフェルトが凍った岩石にへばり付いて歩きにくいのであった。「これじゃあ、水が冷たくて活性が悪く、魚も餌を食わへんわなー」。「早めに釣りはやめて、道中の露天風呂で冷えた体を温めよかー、」凍てついた、てかりのある山道をしばらくのろのろと走り、一軒のひなびた温泉旅館に到着、「こんちは、温泉入れますかー」。顔中皺だらけの老人の、「どうぞ、ゆっくり暖まってくだせー、」との思いやりのある笑顔に、心はすでに温まっていた。雪のちらつく風情のある露天風呂、雪解け水が流れる渓流が目前。風呂上がりに休憩させて貰った部屋の隅には、「灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ…」と歌が聞こえそうな雰囲気のひな飾り、「もうじき雛祭りか…」。時代のある雛人形と妙に懐かしさを感じさせる土雛、そして珍しい押し雛の内裏様、明治頃の作と思われる。代々飾られ、子供たちの幸せを家族が願ったのであろう、こんな家庭に育ったならば、児童虐待なんて考えられないのだが、ふと考えさせられる、愛情を感じる素朴な雛飾りであった。 徳 峰 |
|
bP2
『 桜堤の地蔵堂 』
「 あーあ、いい陽気だなー」、ガラガラと誰かさんの根性とおんなじで、レールの磨り減った素直に開かぬガラス戸を開くと、視線に入るのは、横三層構造の風景なり。 「ええ、なんのこっちゃ」、上層から、限りなく透明なブルーは晴天の青空なり、中層は、今更にうごめき増殖しつつあるピンクの魔物ごとき桜花の群なり、そして、下層は堤一面に群生する、それぞれ可憐な小花を咲かす雑草敷物のグリーンなり。年に一度数日間に現れる現象、そう、癒しの風景であります。4月の初旬、全国的に皆様が浮かれ調子になられます、桜花満開のことあります。 年度始の期待と不安を一時忘れ、誰もがバカ騒ぎができる無礼講の数日間の桜祭り。そんな陽気に、ぶらりと散歩。ふと、桜古木の元に目をやると、朽ちかけた地蔵堂に、柔和なお顔をしておられるお地蔵さんと二体の木像古仏がまつられていたのであった。浮かれ調子な花見のお客さんたちの幸せそうな表情を眺められ、安堵されているように見えるのです。誰が供えたか、線香に蝋燭の明かり、色とりどりの供花、お水の代わりにカップ酒が供えられているようです。地元の老人のお話によると、この川は大昔、度々氾濫をしていたようで 、相当多数の人々が流されたそうな、そんな事から、江戸時代、無縁仏となられた人々をご供養するために、ここにお地蔵様をおまつりされたようです。室町時代はあるかと思える二体の仏様も数百年の昔から、人々の幸せを願っておられるのでしょう。南無阿弥陀仏…、無縁仏さんの成仏をお祈りして。四季を通じて最高な季節そして、幸せなひととき、日の本、いや、世界中が戦争の無い、このような平和で幸せな日々が過ごせる事をこの祠の仏様は願っておられるのではなかろうか。世界が一つとなり、そんな平和な世界にしていかなければならないのではないだろうか。徳 峰 |
bP3『 明治三六年号入り人力火消しポンプ』「火事だ、火事だ…」、人混みのざわめき、夜空に真っ赤な炎が、まるで魔物のようにうなり声とともに、天を焦がす程の凄まじくうねり燃えさかる火災であった。「カンカンカン…」、「どいた、どいた、…」と威勢のいい法被姿の若い衆が、手にカギ棒をもつ者、また、数人で人力火消しポンプをガラガラと、こぎみよい手引き車の車輪の音をたて、群衆の中を、炎めがけて一直線に突き進む様、若い衆の威勢の良さと掛け声に、人々はひとまずの安堵感をも感じるのであった。「たのむぞ、若い衆…」と恰幅のいい旦那衆、そんな掛け声に、「まかしといておくんなさい…」と一人の若頭風の頼りがいのある若い衆。若い衆は次々と頭から水桶一杯の水をかぶり、手にカギ棒を持ち、真っ赤な炎という魔物と命がけで立ち向かうのであった。 路上には大八車に身上ありったけの道具や荷物を山のように積んで、家族総出で逃げ惑う様。また、ある者は両手に抱えきれない程の荷物を抱え、背中には自分がひっくりかえったら二度と起きあがれないような、花柄木綿紺型染布団皮にくるまれた生活道具を背負い、必死で炎から遠ざかろうとする者。まさに、てんやわんやの状態であった。 「ええ、何だって、付け火かよ、犯人は子供らしいぜ」、「こんなに風が強くっちゃ街中に火の手が廻っちまうぜ、おおい、もっと力を入れてポンプをこぎな…」。「おお…、任しときな、野郎ども、もう一踏ん張りだ」、明治三六年初冬の事であった。 そういえば昨今、放任主義の父親に義母、愛情不足と親の期待を背負わされ、心を病んでどうにも行き場を失った少年だろうか、親から勉強について怒鳴られ、自宅に火を付け家族もろとも炎の海とさせてしまった放火事件が起きている。当然放火は許し難い犯行ではあるか゛、何が若者を追いつめ、行き場を無くし、又、心を病み狂わせたのか。子供の歪んだ心、追いつめられた心情、親子の間でコミュニケーションが持て本気で話し合い理解しあえたのなら、このような修羅の世界すなわち、悲惨な犯行は怒らなかったのではないだろうか、悔やまれてならない。今では使われなくなった、明治三六年号入り人力火消しポンプ、百年以上もの間、地域の人々の火災予防のシンボルとなり、また人々の暮らしを見守ってきたのであろう。 徳 峰
|
|
【bP4】 『 晩秋の赤いのぞき眼鏡 』 「おーい、太一に、お千代ぼう、こっちーきてみろやーい。」「なんだーい、じいちゃん」と孫の太一とお千代はじいちゃんのそばに駆け寄ってきたのであった。 外は、晩秋の美しい夕焼けも時とともに静かに暮れてゆき、渡り鳥と秋の虫の鳴き声だけが聞こえている。そんな静かな夕餉後の一時であった、「今夜は、おめらも夜なべはそこそこにして、庄屋さまからお借りした、のぞき眼鏡をみんなで見てみようや…」。「じいさま、のぞき眼鏡って何だね…。」と、わら草履を作っていた太一やお千代の父親が聞いた。「うーん、ようわからんがのー、庄屋さまが太一や、お千代ぼうに見せてやると喜ぶぞーと言いなさってな、貸してくださったのよー。」「ほんなら、ばあさまも、おっかあも、いっしょにのぞき眼鏡たらを見せてもらおうやないか…。」「ほんなら…、まず、ランプに火をつけてここにホヤをはめ、赤い煙突をかぶせるちゅうこった」。「 ほいでな、家中の灯りをみんな消してくれや」。「ほんでええー、ほんた゛のぞいてみろやー。」「じいちゃん、金太郎が熊と戦っているよー、」「あーそうか、千代ものぞいてみろ、」、「うん、じいちゃん、見えた、きれいに見えたー」。「そーら、順番にガラスの種絵を入れろちゅう事らしいんで、よーくみてろやー」と、じいちゃん。次々に写し出される絵と写真、交替で見る家族は初めてののぞき眼鏡に感激し、喜び笑顔をみせていたのであった。 「ほう、ばあさんや、日本中の有名な景色があるが、寿命があるうちにいっぺんは行ってみたいもんやなー。」 「 そうじゃのー、じいさまー」と、しわくちゃ笑顔のばあさま。子供達は初めて見るのぞき眼鏡の景色の中に、まだ見ぬ地に夢と、未来を想像していたのではないだろうか。決して裕福でもなく、むしろ貧しさのなかではあるが、こうした楽しい家族団欒があれば、家族の絆、家族愛も深まり、虐待なんてことは起こるはずがないのである。 晩秋の夕餉後の家族団欒の一時であった。 徳 峰 |
|
【bP5】 『 昭和8年制作きめこみ雛段飾り人形 』「灯りをつけましょ、ぼんぼりに……、今日は楽しい雛祭り。」久々にご機嫌なおとうたぁんの鼻歌なのである。 おとうたぁーん、と髭面のほっぺに、頬ずりし、「おとうたぁーんのほっぺ、ざらざらでいちゃいー。」とはんべそかいても、父親のあぐらをかいた膝の上に飛び乗って甘えてきた、あの幼かった娘。今では、話かけても返事もまばら、うるさい親父くらいにしか思っていない今風の娘になってしまった、とは思いつつ娘の成長を心から喜んでいるのである。この「 昭和8年制作と木箱に記された、きめこみ雛段飾り人形 」は、初だし雛人形であり、推測するに、昭和8年と言えば、第二次世界大戦最中の物資の無い時代に、初孫女児出生のお祝いとして、関西あたりで 特注されたのか、京人形風のきめこみ段飾り雛人形である。さぞ、当時は高額で注文制作されたのであろうと考えられるのである。厳しい冬の冷風から、暖かさを含んだ快い風は、香りと共に咲き始めた花々の活気をも感じさせるのである。春の日差しを浴びた落葉樹の株付近を渡りあるく「ホーホケッキヨ…」と実に上手に啼くウグイスの歌声に、四季の始めの春を楽しみ祝うのである。 初節句のお雛祭り、「早く大っきくなって、このお姫様みたいにべっぴんしゃんのお嫁ちゃんになるんでちゅよ…」と若い親たちの願い、自分たちの子として生まれて来てくれた事を感謝し、この子の為ならば命だって惜しむものでは無い、幼子の成長を心からお祈りするのである。こんな両親の気持ちは古今東西、今昔いつの時代でも同じ気持ちである。この昭和8年制作きめこみ雛段飾り人形を、じいちゃん、婆ちゃん、あるいは、ご両親から贈られた女児は、今頃、子孫に恵まれているならば、孫、いや、曾孫のお雛祭りをお祝いしていると思われるのである。こんな幸せなお雛祭りのさなかにも、どこかで、今なお子育てが辛いとか、自分の人生や生き方に子供が邪魔になった、あるいは、こんな人生をリセットしたい、など自己中心的で甘やかされ育った若い親達の幼児虐待事件が、未だに後をたたないのである。自分の血を分けた子供達、初節句のあの感動、そして、自分たちの子として生まれて来てくれた事への感激と感謝、もう一度思い出して欲しいものである。 幼児虐待など無い世の中、幸せな家族のお雛祭りになってもらいたいものである。 徳 峰 |
|
【bP6】 『ペーパーナイフ…』 社長…、「なんやねん、この忙しいのに」「このペーパーナイフって良く切れますね 、百金ですか…」と社員の若者、「それかね、それはね、業者市で仕入れた短刀だよ」、 「しかし、こんなに刃が厚くてもカッターナイフみたいによっく切れるんですね」「よく見てごらん、メッキのようにピカピカしてないやろ、そう、鋼が鍛えてあるので、地肌が木目のようになっているんだよ、研ぎ上げてあるので、鍛えが目で見ることができるわけ。武士が切腹する場合に必ず短刀を使用するだろ、つまり刀匠はそんな大切な武士の命を預かる短刀を短い刀だけど、大刀と同じような気持ちで作刀しているわけ」刀匠の魂が鍛え込まれている訳である。よっく観察すると、 鋼ってこんなに美しいものなのかって言うことに気が付くわけよ。つまり、地肌・刃紋も美しいけれど、カッターナイフのように切れないといけない理由がある、それが「刀」なのである。 毎日の仕事で、ナイフ代わりに短刀を使っているのは、自分の思考・判断に責任を持って行動する、「失敗は切腹」そんな考え方で使っているのである。徳 峰
|
|
【bP7】 『古伊万里御神酒徳利』 「じいちゃんどこいくのー」 と孫の正太が三輪車を必死にこいで大好きなじいちゃんの後を追っかけてきたのである。「しょー君か、じいちゃん、これから秋葉さまに祀ってある、おやくっさまのお詣りにいくで、付いてくるか…」「うん、いくいく…」「じいちゃん、おやくっちゃまってなにー?」「おやくっさまはなー、薬師如来様 いってなー、病気が早うなおるよーにって、おみゃーりする、のんのさまだわ…」「ああ…とうかー」と正太は何かもごもごとしゃべりながら、一生懸命に三輪車のぺダルを踏み、じいちゃんについていくのであった。「じいちゃん、なにやっとるのー」、「ああ、これか、のんのさまにお供えしとるぎゃー」と 、正太のじいちゃんは、蛸唐草の長首古伊万里御神酒徳利に御神酒と杉の葉を挿し、雛祭りに祝いとして蒸した赤飯と供に御供えをしているのであった。「ほれ、しょー君もじいちゃんと、おやくっさまにおみゃーりしよか、」「うん」、と紅葉のような小さな手を合わせ、しきりにもごもごと何かを一生懸命にいのっているのであった。「 しょー君は、おりこうさんだなー、一生懸命何をおみゃーりしたやー」「うん、今日も、おかーたんが頭がいちゃいといっとったもんで、のんのさんに 、はよー直るようにお詣りちた…」「ああ、ほうかほうか、しょー君は、ほんとにええこじゃなー」と、こんな小さな正太が、母親の病気を心配し、懸命に祈る姿をみて、きっと心の優しい子に育つと心から喜び、 正太が病気もせず元気に健やかに育つ事を祈るじいちゃんであった。 こんな、じいちゃんと孫のコミュニケーションを大切にしていきたいものである。 徳 峰
|
|
【bP8】 『お爺さんのしょいこ』 ちまたでは花見の季節もとうに過ぎ去り、時季はずれの残桜の花びらさえ、散り行く季節、そんな四季のなかで一番陽気の良い季節を迎えている平野。菜の花にかすかに残る白い物、残雪である。遠く望めば、晴天の空にそびえる山脈は、未だ消えぬ残雪を頂き、青い空に白さがやけに似合う、そんな山村の田舎古屋を尋ねた時のことであった。今では子供達も成長し、都会に働きに出てしまい、年寄り夫婦のみの一寸寂しい、いや、本人達はそうでもないらしく、大変気に入っている山村高所の田舎暮らし。白髭のよれよれ帽子が妙に似合うお爺さん、今では使われないしょいこは、麓の雑貨やで週一回程度の日用品を調達し、山頂に近い我が家に一時間近くをかけ背負ってきていたと言う。しょいこは生活していくうえでの大切な道具、正月には鏡餅の御供えをし、日頃の感謝。今では色あせた、縄巻き布きれが大切に使われてきた証と見ることができるのである。日頃はほゞ自給自足の生活らしく、急斜面の段々畑、作物手入れの農作業、いっぷくには、お婆さん手作りの漬け物をつまみ、自家製手揉み新緑茶、一口含むと一寸ぬるめでとろりとした甘みと香り、そして、晴天の遠方を望めば、子供の頃からずーと見ている、いや、見守られている守り神とでも言おうか、故郷の山脈を眺めての贅沢なお茶の一時。いっぷく後の仕事は「風呂の薪じゃ」といいながら、振り上げた斧にごつい丸太は一刀両断、なんと元気で丈夫なお爺さん。いや、少子化時代このような老人パワーは、なんとも頼もしい事であろうか、何時までも元気で活躍して貰いたいものだと、心からご健康を祈るばかりであった。 徳 峰
|
|
《丹羽ライオンズクラブ |
会報 掲載》 |
bR 【騎馬武士文様銀細工の煙管】 | 5 「猿が馬のたずなを引く金具の煙草入れ」 |
bS 【古伊万里染付牡丹文様大皿】 | bP7 『古伊万里御神酒徳利』 |
bP6 『ペーパーナイフ…』 | bP5 『 昭和8年制作きめこみ雛段飾り人形 』 |
bP3 『 明治三六年号入り人力火消しポンプ』 | bW 「サンシューの古木と御深井徳利」 |
bV 「田植えと青磁水鳥文高杯」 |
◆骨董買取★愛知 尾張◆骨董買取★古美術◆骨董買取★愛知 尾張◆骨董買取★古美術◆骨董買取★愛知 尾張◆骨董買取★