【 骨 董 讃 随 記 】※著作権登録済

               松岡徳峰(店主 著作)

bP 【道中着】

富士の御山に背を向けて、わらじの足も軽やかに、縞のカッパをひるがえし、腰に長ドス、三度笠。清水一家の暴れん坊、森の石松に良く似合う、縞の道中着です。

 

bQ [瀬戸渋紙釉四耳壺】

風香る秋、白菊の大輪と可憐な赤い実が美しいサンキライの大枝を投げ入れて、秋の色香を感じる一壺。それは瀬戸渋紙釉四耳壺であった。

 

bR【騎馬武士文様銀細工の煙管】

深々と降りしきる雪の夕刻、七軒長屋の左端、大工の熊五郎宅の木戸をガラリと開け、「おーい、熊五郎はいるか…、」「へい、平造親分、何かあっしにご用ですか。」 「実はな、奈良子町のおたなでちょっとした事件があって、おめえにちょいと聞きてえ事があってな…」その言葉を聞いた熊五郎のぎくりとした仕草を、吸っていた銀細工の煙管で、煙草盆の染めつけ火入れの口縁を、コーンと一叩きした平造の鋭い眼力は見逃してはいなかった。 そんな岡っ引き親分に似合いそうな「松流軒 政輝作」在銘、騎馬武士文様の見事な銀細工の煙管。 

bS  【古伊万里染付牡丹文様大皿】 

北の山脈は、山頂にうっすら白い残雪の頃。庭では、たんぽぽとつくしの背くらべもはや過ぎ去り、岩積み垣根の間には、必死にしがみつくかのように、山草たちが可憐な花をつけている。庭のほぼ真ん中あたりにある岩石の近くには、純白、桃色、濃桃色大輪の誇らしげで華やかな牡丹の花々、庭の隅で今にも朽ちかけそうな丸太組の棚には、房も見事な藤花の群。「母ちゃん、ただいま」とは、数年ぶりに里帰りした都会に住む娘親子、「よう、来たねー、子供達もおーきーなって 、まあ、まあ、あがってゆっくりしなさい」と言われてあがった家は、この近辺でも今では少なくなった茅葺きの古家。囲炉裏には、真っ黒に煤けた鍋にけんちん汁が煮え、食べ頃になっている。「さあ、お茶でも飲んでー」とさしだされた、ゆのみを持つ畑仕事で日焼けして黒光した皺だらけの手、「おなかすいたやろう、まあ、ひとつおあがり」。きっと孫達も喜んでくれるだろうと早朝より、精を出し作ってくれただろう、ちょっと不格好な、巻きずしと甘辛くて美味そうなお稲荷さんが、古伊万里染付牡丹文様大皿にぶこつに盛りつけられてあったのである、ひとくち口に含んだときの懐かしい母親の味、そして、障子越しに見えるのは、父親が丹精込めて育てた牡丹の花、背景にはふるさとの山脈風景が今も変わりなく広がっている。年は取ったが元気そうな母親の顔をみて、ふと安堵感からか、愛子の目頭が熱くなったのである。そんなふるさとを思い出させる古伊万里染付牡丹文様大皿。

 

5 「猿が馬のたずなを引く金具の煙草入れ」  

   「じいちゃーん、たーちゃんもとぅれてってー、」と、はんべそをかいて後を追っかけてくる孫の太一。与平は着物の裾を尻まくりにして、てぬぐいと煙草入れの 和紙網代無双煙管筒をちょいと腹帯に差し込んだ格好で、肩には野良仕事用の鍬を担いで、相変わらず左手に持った煙管から煙を立ちのぼらせているのであった。遠くで孫の太一らしい声をきいて、ふと振り向くと、太一は一目散に、大好きなじいちゃんの所に駆け寄って来るのであった。「あわてんでいい、こけるぞー、」仕方のない子だなーといいながらも、孫の太一がかわいくてしょうがないのであった。担いでいた鍬を地面に下ろし、懐から、桃の絵の付いたごついマッチ箱を取り出し、再び煙管に火を付け、孫の駆け寄ってくる姿を、目を細めて見守っているのであった。太一はじいちゃんと半分ずつ食べるんだと、手に蒸かしいもをしっかりと力一杯に握りしめ、片方の手には、以前与平が作ってやった木製のごつい独楽を大事そうに握っていたのであった。「じいちゃんと畑で虫取りでもするかー、」のことばに、「うん、しゅるー」と楽しげな太一、「じいちゃん、それ、みちぇてー」と、太一の大好きな「猿が馬のたずなを引く煙草入れの金具」、そんな金具の付いた煙草入れを与平も気に入っていたのであった。 手をつないで歩く田舎道、小鳥はさえずり、草花は可憐な花を付け、桜の古木は今にも満開となり、太一の大好きな蝶たちも、なにかしら楽しく飛び回っているように思える、春の穏やかな日であった。    

 

bU 『五月の陽光、ぶち割れ染め付け茶碗』

風薫る、輝く朝陽‥、そんな言葉が似合うまぶしい一日の始まり、新緑の雑木、初芽の香りが心に優しい、そんな五月の樹木にかこまれた朝を庭先で迎えている。かすかに揺れ動く木葉の透き間から、おしげもなく、優しく輝く陽が差し込み、きらりと光るのは、まだ朝の冷たさを少しは残す水草の浮く古瀬戸灰釉大鉢の水面である。新芽薫る茶摘みのころか、一番出しの新茶、手のひらで包み込めそうな小振りな染め付け茶碗、ちょっとぬるめで、ほんのりとした苦みと甘さが、なんとも新茶独特のこの季節しか味わうことのできない茶摘み時期の恩恵か。 ふと手のひらをのぞき込めば、見事に真っ二つにぶち割れた茶碗、ひとしずくの水滴の漏れさえ許さない職人の技なのか、糊など一切使わず、四つの小さな銀のかすがいで見事に直しているのである。なにやら、草花文、昆虫、あるいは小動物、なんだかデフォルメされて判別しにくい藍筆の文様、しばし考え込むのでありました。しかし、憎めない図柄でありたいへん可愛らしい一品である。 ふと、創った職人の、そう‥、この文様を描いた人物の事を思い浮かべずにはいられなかった。 樹木の芳気と朝陽のなかのひとときの開放感と安らぎは、新茶の芳香とともに、意識と無意識の次元の境をも無くしてしまう魔力なのか。「もう一服どうぞ」の言葉に、ふと我に戻ったのであった、「いただこう、五月の香りを、そう、この愛しいぶち割れ染め付け茶碗で」。殺伐とした現代の世、かって、このように優しく心を包みこんでくれる陽の光があっただろうか、また、新緑の樹木と新茶の醸し出すひとときの安らぎを、多忙な日々のなか、持つことができたであろうか。

                           

 

 

bV 「田植えと青磁水鳥文高杯」

雨がしとしとふりだした…、」ブルーにピンク、パープル、そして、これらの中間色のバラエティーな多彩色群で見事に梅雨を吹き飛ばすかのように、そして、梅雨時の人々の心に太陽、希望を持たせてくれているかのような梅雨の華、紫陽花の群花を見て、つい鼻歌が…。古屋の並ぶ故郷の開けた一面の水面は、水鳥たちで賑わう湖、いや、子供から、老人そして猫の手まで借りたい程の、家族総出で行われる田植えの真っ最中の田んぼである。 耕され均された田んぼの水中の小生物を捕りに飛来している水鳥たちであったのだ、忙しげにくちばし、または頭まで水中の泥に突っ込み獲物を捕っている様は活気があって、昨今の不景気な日本経済にも是非見たい光景である。水面から、情けなそうに顔を出し、水流と風にながされまいと必死に水中の泥に、若者の髭のような、少し頼りない根っこでしがみついている早苗にいじらしささえ感じ、自分の子供達の事と重ね合わせ「がんばれ」と、心からエールを贈るのであった。畦の草木の葉っぱには、数匹の小粒な巻き貝、そう、梅雨が特に似合う蝸牛である。ゆっくりと…、ゆっくりと…、なにかの目的に向かって着実に進んでいるかのようである。そうか、自分もこの数ミリの蝸牛のように生きていこう…、何だか生き方さえ教えられた様な気がするのであった。帰宅後の冷酒、つまみの乗る皿は、瀬戸葵窯、青磁水鳥文高杯、水鳥と水面の波と揺れ動く水草の勢いが刻まれている、田んぼの水中の小生物を捕っている水鳥たちを描いたような勢いのある文様の一品である。

bW「サンシューの古木と御深井徳利」

ぱたぱたぱた…」「あー今年もきじ鳩やって来たかー」。庭隅に、先々代が植えたと聞いている、この地に根づいていまに百年近くにもなるサンシューの古木。北風も冷たく感じる早春一番に、まっすぐのびた新枝に古枝、全ての枝に黄色い花をたくさん付ける、花の少ない季節の貴重な花木である。このサンシューの古木、花が終わる頃、自然界ではまだ食べ物が少ないのか、ヒヨドリなど小鳥たちが餌を探しまわり集まるのである。そんな小鳥たちを観察するのが楽しみで、普段使いナイフ代わりの鎬造り、無銘、直刃の新刀、飴色とでも言おうか、とろとろの白鞘に収まった刃長十一センチあまりの短刀で、みかんやリンゴをカットし、サンシューの小枝にさしてやる。又、小鳥の餌を山茶碗にいれ置いておくと、ヒヨドリ、メジロ、雀などが集まってくる、モズまでもやってくるのである。なかなかにぎやかであり、心温まる風景となる。ウグイスも、いまだ音程の狂った若鳥か、古木の根元近くを行ったり来たりして、鳴きの練習をしているようである道路に面した庭隅に根づいているサンシューの古木、たいして広くもない、いまでは懐かしいリヤカーがやっと通れる程度の田舎道だったが、道路拡幅で、一日中ひっきりなしに通る自動車。そんな騒音の中にも関わらず、今年もやって来たきじ鳩が愛おしく感じるのである。友人の息子に言ってやりたいものである、たまには、きじ鳩のように故郷に戻って来いと。今年も、カラスや、にょろにょろアオダイショウなど天敵に気を付けて、無事二世を巣立ちさせてやりたいと願うのである。 そんな早春一番、黄色い花を付けるサンシューの一枝を生けるのにとても良く合う、江戸前期頃、美濃御深井徳利である。

 

 

bX『うばがふところ」銘の茶壺』

日増しに陽気が変化していく初秋、日中太陽の下では真夏並の暑さ、ところが、朝夕との温度差に、夏の続きのごろ寝で、思わず「はーくしょん…」と震え上がる事もしばしば。 そんな晴天の田舎道、「あっ…すごい」、思わず声が出るほどの風景。 いまだ青稲田の稲穂をかすめる高度を飛び交う、赤トンボの飛群。 何百いや、何千の未だ赤く成りきっていない赤トンボの群、早く秋が来ないかなあと催促をしているようである。川の堤防では、箒草のすすきが早々と風にたなびいているし、萩がピンクの可憐な小花を無数に咲かせている光景は、未だ残る厳しい残暑の居場所さえ無くす、そんな雰囲気さえ感じさせるのであった。天高く…、透き通るような青空、もうじき兎が月で餅つく十五夜がやってくる。先祖伝来の室町時代、古瀬戸黒釉の掛かる茶壺、高さ四三センチはある大振りの見事な風格、四耳も無事である、底には、窯キズは有るが、古瀬戸で茶入れと茶壺しか造られ無かったと言われている祖母懐土の茶壺。 よく「祖母懐」の銘が入る茶壺は目にするが、この四耳壺は「うばがふところ」と、かな銘が入る大変貴重な珍品であると思われる。この「うばがふところ」茶壺に、すすきと萩の枝、そして、紫紺の花りんどうを数本なげいれる。御深井焼角型野香炉にお線香、織部燭台にはろうそくの灯り、古瀬戸鉄釉秋草文中皿に白い可愛い月見だんごを盛りつけ、お月さんにお供えをし、みんな揃って、日頃の感謝と幸せ、そして、世界平和を祈る。ロケットが月に着陸し、餅つく兎はいないようではあるが、昔も今も月に祈る気持ちは変わらないでいたいものである。

 

 

bP0『晩秋の糸繰車』

心地よいが少々寒いくらいの自然風と、晩秋の暖かな日差しを全身に浴びながら、縁側に寝ころんだ、いや、寝ころばせてもらった茅葺き古屋のお宅。鼻腔をくすぐる香りは、長年燻された色合い、この家の歴史のしみこんだ、黒光りした重厚な、そして、愛着と妙に懐かしさのある古木柱、床板、建具、そしてあらゆる古民具を守ってきた囲炉裏の白紫煙。そんな懐かしさを誘う香りを嗅ぐと、全身の余分な力も抜け、リラックスしていることに気付くのであった。日頃のストレスから解放され癒されている、そんな感じすらするのであった。部屋の中央の囲炉裏、吊り具の先には、無骨な鉄製フック、その上には、手彫り細工の今にも泳ぎだしそうな見事な大型鯉が居る。鉄製フックには、大振りな鉄鍋に食欲をそそられる臭いと美味そうな煮音と白い湯気を立ち上らせている。 うとうととしたのか、ふと、気が付けば、明治頃藍染め布の使い込まれた肌触りが柔らかな薄地の布団を掛けてもらったようだ。遠くではカラスの鳴き声、空は夕焼け、朱色、赤、黒、青、それら色のグラデーション。一日が終わろうとしている。夕焼け空を見つめているうちに、夕焼けは哀愁をも感じさせるのか、暖かい温もりのある家庭へ早く帰りたいな…、そう思うのであった。山々の紅葉は終盤となり、いまに、川堤の桜木は、颪と共に花より一足早い純白の雪花が咲くであろう。 ふと物音に囲炉裏端を見ると、この屋のおばあさんが、糸繰車で手織機用の糸を紡ぎ、縒りあわせている。このように糸から作り、手織機用で織られた着物は、心がこもって、きっと着心地が良いのだろうな…、このような手作りの良さ、伝統を何時までも大切にしていきたいものである。 

 

bP1『  釣りと押し雛の内裏様

「おお、さむー」、ランドクルーザーが白い煙を吐き、今にも出発したがっているかのようなエンジン音。頃は2月の初旬、小雪ちらつく薄暗い冬雲の早朝、さあ、解禁あまご釣り、雪山に向かっていざ出陣。 とろとろ走る不慣れなスキーヤーを横目にいち早く目的地に到着、準備万端、渓流に竿を片手に立ち込み、川虫を素早く針に刺し、シュイーンと竿を振り込む。何度か同じ動作の繰り返し、何処にいるのかな…、ポイント攻め、いきなり「こつん」、「あまごだー」 、思わず手首がグリップをきかせていた、あたりの感触に感激、「釣り上がった魚体は天然物で美しい、今年もあまごは元気だな…」、と思ってはみたが、これ以後いっこうに不発、胸まである釣り長靴の底のフェルトが凍った岩石にへばり付いて歩きにくいのであった。「これじゃあ、水が冷たくて活性が悪く、魚も餌を食わへんわなー」。「早めに釣りはやめて、道中の露天風呂で冷えた体を温めよかー、」凍てついた、てかりのある山道をしばらくのろのろと走り、一軒のひなびた温泉旅館に到着、「こんちは、温泉入れますかー」。顔中皺だらけの老人の、「どうぞ、ゆっくり暖まってくだせー、」との思いやりのある笑顔に、心はすでに温まっていた。雪のちらつく風情のある露天風呂、雪解け水が流れる渓流が目前。風呂上がりに休憩させて貰った部屋の隅には、「灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ…」と歌が聞こえそうな雰囲気のひな飾り、「もうじき雛祭りか…」。時代のある雛人形と妙に懐かしさを感じさせる土雛、そして珍しい押し雛の内裏様、明治頃の作と思われる。代々飾られ、子供たちの幸せを家族が願ったのであろう、こんな家庭に育ったならば、児童虐待なんて考えられないのだが、ふと考えさせられる、愛情を感じる素朴な雛飾りであった。  徳 峰

 

bP2 『 桜堤の地蔵堂 』

あーあ、いい陽気だなー」、ガラガラと誰かさんの根性とおんなじで、レールの磨り減った素直に開かぬガラス戸を開くと、視線に入るのは、横三層構造の風景なり。  「ええ、なんのこっちゃ」、上層から、限りなく透明なブルーは晴天の青空なり、中層は、今更にうごめき増殖しつつあるピンクの魔物ごとき桜花の群なり、そして、下層は堤一面に群生する、それぞれ可憐な小花を咲かす雑草敷物のグリーンなり。年に一度数日間に現れる現象、そう、癒しの風景であります。4月の初旬、全国的に皆様が浮かれ調子になられます、桜花満開のことあります。 年度始の期待と不安を一時忘れ、誰もがバカ騒ぎができる無礼講の数日間の桜祭り。そんな陽気に、ぶらりと散歩。ふと、桜古木の元に目をやると、朽ちかけた地蔵堂に、柔和なお顔をしておられるお地蔵さんと二体の木像古仏がまつられていたのであった。浮かれ調子な花見のお客さんたちの幸せそうな表情を眺められ、安堵されているように見えるのです。誰が供えたか、線香に蝋燭の明かり、色とりどりの供花、お水の代わりにカップ酒が供えられているようです。地元の老人のお話によると、この川は大昔、度々氾濫をしていたようで 、相当多数の人々が流されたそうな、そんな事から、江戸時代、無縁仏となられた人々をご供養するために、ここにお地蔵様をおまつりされたようです。室町時代はあるかと思える二体の仏様も数百年の昔から、人々の幸せを願っておられるのでしょう。南無阿弥陀仏…、無縁仏さんの成仏をお祈りして。四季を通じて最高な季節そして、幸せなひととき、日の本、いや、世界中が戦争の無い、このような平和で幸せな日々が過ごせる事をこの祠の仏様は願っておられるのではなかろうか。世界が一つとなり、そんな平和な世界にしていかなければならないのではないだろうか。

徳 峰

bP3『 明治三六年号入り人力火消しポンプ』

「火事だ、火事だ…」、人混みのざわめき、夜空に真っ赤な炎が、まるで魔物のようにうなり声とともに、天を焦がす程の凄まじくうねり燃えさかる火災であった。「カンカンカン…」、「どいた、どいた、…」と威勢のいい法被姿の若い衆が、手にカギ棒をもつ者、また、数人で人力火消しポンプをガラガラと、こぎみよい手引き車の車輪の音をたて、群衆の中を、炎めがけて一直線に突き進む様、若い衆の威勢の良さと掛け声に、人々はひとまずの安堵感をも感じるのであった。「たのむぞ、若い衆…」と恰幅のいい旦那衆、そんな掛け声に、「まかしといておくんなさい…」と一人の若頭風の頼りがいのある若い衆。若い衆は次々と頭から水桶一杯の水をかぶり、手にカギ棒を持ち、真っ赤な炎という魔物と命がけで立ち向かうのであった。 路上には大八車に身上ありったけの道具や荷物を山のように積んで、家族総出で逃げ惑う様。また、ある者は両手に抱えきれない程の荷物を抱え、背中には自分がひっくりかえったら二度と起きあがれないような、花柄木綿紺型染布団皮にくるまれた生活道具を背負い、必死で炎から遠ざかろうとする者。まさに、てんやわんやの状態であった。 「ええ、何だって、付け火かよ、犯人は子供らしいぜ」、「こんなに風が強くっちゃ街中に火の手が廻っちまうぜ、おおい、もっと力を入れてポンプをこぎな…」。「おお…、任しときな、野郎ども、もう一踏ん張りだ」、明治三六年初冬の事であった。 そういえば昨今、放任主義の父親に義母、愛情不足と親の期待を背負わされ、心を病んでどうにも行き場を失った少年だろうか、親から勉強について怒鳴られ、自宅に火を付け家族もろとも炎の海とさせてしまった放火事件が起きている。当然放火は許し難い犯行ではあるか゛、何が若者を追いつめ、行き場を無くし、又、心を病み狂わせたのか。子供の歪んだ心、追いつめられた心情、親子の間でコミュニケーションが持て本気で話し合い理解しあえたのなら、このような修羅の世界すなわち、悲惨な犯行は怒らなかったのではないだろうか、悔やまれてならない。今では使われなくなった、明治三六年号入り人力火消しポンプ、百年以上もの間、地域の人々の火災予防のシンボルとなり、また人々の暮らしを見守ってきたのであろう。   徳 峰

 

【bP4】    『 晩秋の赤いのぞき眼鏡 』

「おーい、太一に、お千代ぼう、こっちーきてみろやーい。」「なんだーい、じいちゃん」と孫の太一とお千代はじいちゃんのそばに駆け寄ってきたのであった。 外は、晩秋の美しい夕焼けも時とともに静かに暮れてゆき、渡り鳥と秋の虫の鳴き声だけが聞こえている。そんな静かな夕餉後の一時であった、「今夜は、おめらも夜なべはそこそこにして、庄屋さまからお借りした、のぞき眼鏡をみんなで見てみようや…」。「じいさま、のぞき眼鏡って何だね…。」と、わら草履を作っていた太一やお千代の父親が聞いた。「うーん、ようわからんがのー、庄屋さまが太一や、お千代ぼうに見せてやると喜ぶぞーと言いなさってな、貸してくださったのよー。」「ほんなら、ばあさまも、おっかあも、いっしょにのぞき眼鏡たらを見せてもらおうやないか…。」「ほんなら…、まず、ランプに火をつけてここにホヤをはめ、赤い煙突をかぶせるちゅうこった」。「 ほいでな、家中の灯りをみんな消してくれや」。「ほんでええー、ほんた゛のぞいてみろやー。」「じいちゃん、金太郎が熊と戦っているよー、」「あーそうか、千代ものぞいてみろ、」、「うん、じいちゃん、見えた、きれいに見えたー」。「そーら、順番にガラスの種絵を入れろちゅう事らしいんで、よーくみてろやー」と、じいちゃん。次々に写し出される絵と写真、交替で見る家族は初めてののぞき眼鏡に感激し、喜び笑顔をみせていたのであった。 「ほう、ばあさんや、日本中の有名な景色があるが、寿命があるうちにいっぺんは行ってみたいもんやなー。」 そうじゃのー、じいさまー」と、しわくちゃ笑顔のばあさま。子供達は初めて見るのぞき眼鏡の景色の中に、まだ見ぬ地に夢と、未来を想像していたのではないだろうか。決して裕福でもなく、むしろ貧しさのなかではあるが、こうした楽しい家族団欒があれば、家族の絆、家族愛も深まり、虐待なんてことは起こるはずがないのである。 晩秋の夕餉後の家族団欒の一時であった。                 徳 峰

【bP5】    『 昭和8年制作きめこみ雛段飾り人形

「灯りをつけましょ、ぼんぼりに……、今日は楽しい雛祭り。」久々にご機嫌なおとうたぁんの鼻歌なのである。 おとうたぁーん、と髭面のほっぺに、頬ずりし、「おとうたぁーんのほっぺ、ざらざらでいちゃいー。」とはんべそかいても、父親のあぐらをかいた膝の上に飛び乗って甘えてきた、あの幼かった娘。今では、話かけても返事もまばら、うるさい親父くらいにしか思っていない今風の娘になってしまった、とは思いつつ娘の成長を心から喜んでいるのである。この「 昭和8年制作と木箱に記された、きめこみ雛段飾り人形 」は、初だし雛人形であり、推測するに、昭和8年と言えば、第二次世界大戦最中の物資の無い時代に、初孫女児出生のお祝いとして、関西あたりで 特注されたのか、京人形風のきめこみ段飾り雛人形である。さぞ、当時は高額で注文制作されたのであろうと考えられるのである。厳しい冬の冷風から、暖かさを含んだ快い風は、香りと共に咲き始めた花々の活気をも感じさせるのである。春の日差しを浴びた落葉樹の株付近を渡りあるく「ホーホケッキヨ…」と実に上手に啼くウグイスの歌声に、四季の始めの春を楽しみ祝うのである。 初節句のお雛祭り、「早く大っきくなって、このお姫様みたいにべっぴんしゃんのお嫁ちゃんになるんでちゅよ…」と若い親たちの願い、自分たちの子として生まれて来てくれた事を感謝し、この子の為ならば命だって惜しむものでは無い、幼子の成長を心からお祈りするのである。こんな両親の気持ちは古今東西、今昔いつの時代でも同じ気持ちである。この昭和8年制作きめこみ雛段飾り人形を、じいちゃん、婆ちゃん、あるいは、ご両親から贈られた女児は、今頃、子孫に恵まれているならば、孫、いや、曾孫のお雛祭りをお祝いしていると思われるのである。こんな幸せなお雛祭りのさなかにも、どこかで、今なお子育てが辛いとか、自分の人生や生き方に子供が邪魔になった、あるいは、こんな人生をリセットしたい、など自己中心的で甘やかされ育った若い親達の幼児虐待事件が、未だに後をたたないのである。自分の血を分けた子供達、初節句のあの感動、そして、自分たちの子として生まれて来てくれた事への感激と感謝、もう一度思い出して欲しいものである。 幼児虐待など無い世の中、幸せな家族のお雛祭りになってもらいたいものである。  徳 峰

【bP6】    『ペーパーナイフ…』

社長…、「なんやねん、この忙しいのに」「このペーパーナイフって良く切れますね 、百金ですか…」と社員の若者、「それかね、それはね、業者市で仕入れた短刀だよ」、 「しかし、こんなに刃が厚くてもカッターナイフみたいによっく切れるんですね」「よく見てごらん、メッキのようにピカピカしてないやろ、そう、鋼が鍛えてあるので、地肌が木目のようになっているんだよ、研ぎ上げてあるので、鍛えが目で見ることができるわけ。武士が切腹する場合に必ず短刀を使用するだろ、つまり刀匠はそんな大切な武士の命を預かる短刀を短い刀だけど、大刀と同じような気持ちで作刀しているわけ」刀匠の魂が鍛え込まれている訳である。よっく観察すると、 鋼ってこんなに美しいものなのかって言うことに気が付くわけよ。つまり、地肌・刃紋も美しいけれど、カッターナイフのように切れないといけない理由がある、それが「刀」なのである。 毎日の仕事で、ナイフ代わりに短刀を使っているのは、自分の思考・判断に責任を持って行動する、「失敗は切腹」そんな考え方で使っているのである。徳  峰

 

【bP7】    古伊万里御神酒徳利

「じいちゃんどこいくのー」 と孫の正太が三輪車を必死にこいで大好きなじいちゃんの後を追っかけてきたのである。「しょー君か、じいちゃん、これから秋葉さまに祀ってある、おやくっさまのお詣りにいくで、付いてくるか…」「うん、いくいく…」「じいちゃん、おやくっちゃまってなにー?」「おやくっさまはなー、薬師如来様 いってなー、病気が早うなおるよーにって、おみゃーりする、のんのさまだわ…」「ああ…とうかー」と正太は何かもごもごとしゃべりながら、一生懸命に三輪車のぺダルを踏み、じいちゃんについていくのであった。「じいちゃん、なにやっとるのー」、「ああ、これか、のんのさまにお供えしとるぎゃー」と 、正太のじいちゃんは、蛸唐草の長首古伊万里御神酒徳利に御神酒と杉の葉を挿し、雛祭りに祝いとして蒸した赤飯と供に御供えをしているのであった。「ほれ、しょー君もじいちゃんと、おやくっさまにおみゃーりしよか、」「うん」、と紅葉のような小さな手を合わせ、しきりにもごもごと何かを一生懸命にいのっているのであった。「 しょー君は、おりこうさんだなー、一生懸命何をおみゃーりしたやー」「うん、今日も、おかーたんが頭がいちゃいといっとったもんで、のんのさんに 、はよー直るようにお詣りちた…」「ああ、ほうかほうか、しょー君は、ほんとにええこじゃなー」と、こんな小さな正太が、母親の病気を心配し、懸命に祈る姿をみて、きっと心の優しい子に育つと心から喜び、 正太が病気もせず元気に健やかに育つ事を祈るじいちゃんであった。 こんな、じいちゃんと孫のコミュニケーションを大切にしていきたいものである。 徳 峰

 

【bP8】  『お爺さんのしょいこ』

ちまたでは花見の季節もとうに過ぎ去り、時季はずれの残桜の花びらさえ、散り行く季節、そんな四季のなかで一番陽気の良い季節を迎えている平野。菜の花にかすかに残る白い物、残雪である。遠く望めば、晴天の空にそびえる山脈は、未だ消えぬ残雪を頂き、青い空に白さがやけに似合う、そんな山村の田舎古屋を尋ねた時のことであった。今では子供達も成長し、都会に働きに出てしまい、年寄り夫婦のみの一寸寂しい、いや、本人達はそうでもないらしく、大変気に入っている山村高所の田舎暮らし。白髭のよれよれ帽子が妙に似合うお爺さん、今では使われないしょいこは、麓の雑貨やで週一回程度の日用品を調達し、山頂に近い我が家に一時間近くをかけ背負ってきていたと言う。しょいこは生活していくうえでの大切な道具、正月には鏡餅の御供えをし、日頃の感謝。今では色あせた、縄巻き布きれが大切に使われてきた証と見ることができるのである。日頃はほゞ自給自足の生活らしく、急斜面の段々畑、作物手入れの農作業、いっぷくには、お婆さん手作りの漬け物をつまみ、自家製手揉み新緑茶、一口含むと一寸ぬるめでとろりとした甘みと香り、そして、晴天の遠方を望めば、子供の頃からずーと見ている、いや、見守られている守り神とでも言おうか、故郷の山脈を眺めての贅沢なお茶の一時。いっぷく後の仕事は「風呂の薪じゃ」といいながら、振り上げた斧にごつい丸太は一刀両断、なんと元気で丈夫なお爺さん。いや、少子化時代このような老人パワーは、なんとも頼もしい事であろうか、何時までも元気で活躍して貰いたいものだと、心からご健康を祈るばかりであった。                                徳 峰

 

 

《丹羽ライオンズクラブ

会報 掲載》
bR   【騎馬武士文様銀細工の煙管】 5    「猿が馬のたずなを引く金具の煙草入れ」  
bS   【古伊万里染付牡丹文様大皿】  bP7   古伊万里御神酒徳利
bP6  『ペーパーナイフ…』 bP5   『 昭和8年制作きめこみ雛段飾り人形
bP3  『 明治三六年号入り人力火消しポンプ』 bW    「サンシューの古木と御深井徳利」
bV   「田植えと青磁水鳥文高杯」  

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