【古美術商のエッセイ】
bP1【 李朝の硯と炭】
徳 峰 著
ここは、濃尾平野の北東、夏の鵜飼いで有名な長良川の両岸に広くまたがる岐阜市である。夏の夜空に華麗に花開く、立体瞬間的映像空間である花火…華火…と、それに酔いしれる人々の熱気、気迫、そして、この地方独特の蒸し暑さのなか、異様なまでの興奮と感激と陶酔。 ほんの一時である夏の花火とは、人々をこのように情熱的に、そして、日常の憂さを忘れらるかのように、楽しむ夏の無くてはならない祭である。又、この長良川で特に有名なのが鵜飼である。この鵜飼であるが、中国の「随書」{六二〇年頃}、記紀・万葉などにも記載されていたとのこと。近世次第に衰退する中、宮内庁の保護を受けて、現在もこの長良川の鵜飼漁は有名である。初秋の透き通るような青空、この長良川の堤防に車を止め、ふと降り立った足元には、夏の花火にも負けない、華麗な、そして、妖艶な彼岸花の大輪が数本、太陽の光をうけ、金色に輝き胸を張って堂々と咲き誇っているように
見うけられた。 その堤防から、ほど近い、よくある「がらくたや」風の…。いや!失礼。古美術店のこれでもか〜。というくらいの埃をかぶっている下手の「李朝の硯」を発見しました。『これはすばらしい!』という物では全くありませんでした。
しかし、なぜか妙に懐かしく思われ、手に取り、思いきり息を吹きかけ咳き込むのでありました。 店の主人も埃の煙幕に妙に恐縮し、出血サービスしてくれた事は言うまでもありませんでした。さて、この李朝の硯、さぞ著名な書家の持ち物とは、ほど遠く、想像するに、さしずめ李朝時代の子供たちの用いた硯に違いないと思わせるような、「ひっかききず」が裏面に見うけられるのです。硯は二つあり、一つは「鳳凰」の彫刻があり、他は、「蝙蝠と鹿」らしき彫刻がみられる。 おそらく、虫食いで、足のとれかかっている小さな文机の上に、白磁の丁度子供の手のひらに、すっぽりと収まる可愛いうさぎの水滴とともに有り。 そして、この硯で、足のしびれと格闘しながら、墨を擦り、手習いの子供たちの声が聞こえてくるようである。 ところで、話は変わりますが「墨」といえば、最近「炭」で作ったシャンプー、石鹸などが、巷で大変なブームだとか。 最初に我が家の洗面の石鹸箱を「真っ黒な物体」が占領していた時には、大変驚いたと同時に、地球に優しいとの説明書をみて、考案者の発想には、我ながら脱帽する思いでありました。そういえば、近頃、河川とか海が大変汚れているという話を毎日のようにマスコミなどから耳にしている気がしてなりません。…困ったものである。この「炭」のシャンプー、石鹸は排水に浄化作用があるとの事、今風に言うと、地球に優しいらしい。別にコマーシャルではありませんので、あしからず。 さて、日本のどこの地域へ行ってもよく耳にすることなんですが
、「この川、昔はいくらでも魚がおったけどなー
、今は水が汚れてすっかりおらんようになってまったもんなー」とは、地元の老人の寂しげで落胆した言葉。 高度成長期において、企業は生産第一を考え日本経済に貢献したものの、多少の公害には目をそむけていたのでは無いだろうか?。ここにきて、低経済となり、また、当時のつけがきた為、地球への思いやりとでも言おうか、「ISO」の取得等、環境問題に取り組みかけたのである。 数十年遅いのである。戦後、五十年あまりで魚すら住めなくなっている地球にしてしまった現実…。反省と対策を希望!。それは、企業だけのはなしいでは無い。「便利さ」を追求するあまり、化学薬品等の異常に使用された商品の購入、産業廃棄物の埋め立てによる汚染等…。ゴルフ場の乱立により、芝生の消毒による汚染も原因の一つである。人類一人一人に責任があると言わねばならないと思われる。そこで、この便利な生活文化をこのさい、数十年昔へ戻したらどうか?。一
度、ご購読いただいている皆様も想像してみられたらいかがでしょうか? あまり極端な事は、三日坊主で終わってしまいますが、虚弱体質、やわな精神力、ほとんど消え失せたハングリー精神の現代の子供たちのためには、絶対良いのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?。 ご父兄の諸氏、教職員の皆様!。いつものように、ぶつぶつとつぶやきながら、一寸大きめの根来の丸盆の、相当使いこまれた風情をもった赤と対象に、李朝の「雨漏り」がうれしい白磁の徳利の白、それに、とろとろの無地刷毛目馬上杯に冷酒を少し注いで口にはこぶ、酒の甘みがたまらない。ふと、手には釣り竿、明日は中学生の息子と久しぶりの釣行。息子は、釣り道具バックに、せがまれてプレゼントした、カラフルなとんぼ玉を数個、キーホルダーとしてつるしている。お気に入りのようだ。学校で先生が「近くの川で釣りをしたら、必ず川に戻してあげてね。」と言ってたよ、と小学生の頃、息子が話てくれた。放流をしているからだそうだ。つまり、自然繁殖ができなくなっているからである。早く、自由に、思いっきり釣りがしたいものである。そんな清流の川を早く、子供たちに、プレゼントできるようにしたいものである。未来の子供たちにも残して行かなければならない。…いつまでも、青い地球であってほしい。
☆画像の御紹介
◎李朝の硯 アドレス
http://www.jm-art.co.jp/goods366-2.html
http://www.jm-art.co.jp/goods366-1.html◎李朝の徳利
アドレス http://www.jm-art.co.jp/goods338.html
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